塾生のAさんが、前期の期末テストに備えて、数学の試験対策に連日長時間奮闘していた9月の初旬、月下美人が小振りの花を咲かせてすぐにしぼんでいきました。
その後、部活に忙しくてしばらく休んでいたAさんは、うれしい知らせを持ってきてくれました。一つは、数学Cのテストが学年二位だったこと。もう一つは、放送部の作品が全国大会で上位入賞を果たしたことでした。
数学の好成績もさることながら、部活の成果がよほどうれしかったのでしょう。「今日の学習が終わったら、一度家に帰って作品のテープを持ってきますよ」と話しながら、テキストをどんどん進めていきます。なんとその日はベクトルの単元を、2時間のうちに10ページも終えてしまいました。
塾生が全員帰宅してから、二番目のつぼみはずいぶんふくらんできたなと月下美人を見つめていると、Aさんが意気揚々と戻ってきました。
さっそくテープを聞けば、「すごい」の一言に尽きる作品でした。外部の対象を取材して編集するものとばかり思っていた、ドキュメントに対する見方を一掃するものだったからです。
『聞こえる安全 学生の声』と題する作品は、放送部独自の活動と、放送部を含めた地域の活動を、見事に捉えています。
空き巣などの犯罪増加に頭を痛めていた地域の自治会は、Aさんが属している高校の放送部に「防犯の呼びかけテープ」の作成を依頼します。そのテープ作成の途中経過と、実際に活用される場面の後、犯罪発生件数が劇的に減少していく成果に対する住民の声や市役所の評価が続きます。さらには、他の高校や大学も巻き込んで、高校生と大学生による地域防犯活動へ発展しつつある場面で終わっています。
作品の基になる取材テープは、合計すると50時間分。締め切りが迫ると、夜の10時過ぎまで部室に籠もり続けます。(塾に来る際に目が真っ赤になっていたのも、これで合点がいきました。)作品を編集していて新たに取材が必要となれば、期末テストの期間中でも出かけます。編集を巡って、激論を闘わせたこともたびたびで、胸ぐらを掴みあうまでに激昴したこともあります。
そのような様々な困難を、自分ひとりが責任者としてくぐり抜けてきたのですから、作品への思いもひとしおでしょう。高校3年生最後の作品であるとともに、中高一貫校で6年間続けてきた部活動の集大成でもありました。その作品が、地区予選から県大会を通って、全国大会のラジオドキュメント部門で入賞するに至るまでの過程は、「青春ドラマ」以上のものだったにちがいありません。
苦労話が深夜まで続いた帰りがけに、うれしいことを話してくれました。
「こんなに大変な編集ができたのは、8年間も学園の表現学習でいろいろな問題を文章にまとめてきたからですよ」
1メートルほどの月下美人の株についたつぼみは二つ。2枚の葉からそれぞれ20センチほど垂れ下がっているので、すごく目立ちます。ついつい、いつ開花するかな、今晩開くかな、と見つめてしまいます。そんな気持ちを知ってか、つぼみは一向に開いてくれません。見つめられれば見つめられるほど、開花を遅らせているかのようです。時間が長く感じられてきます。
一方、Aさんの8年間の成長はあっという間でした。
小五で入塾したころは、かわいい少年でした。それが今では見上げるほどの背丈になっています。喘息という持病のため、いつも薬を携え、酸素吸入のための入院をくりかえしていたころと打って変わり、頑強そのものの体格になっています。
学習面においても成長著しいものがあります。
中学受験を終えた後からの6年間は、数学一科目を選択してきました。数学は暗記すればなんとかなる他の科目と違って、考える科目であるからというのが理由でした。
数学の学習法で一般的なのは、解法のパターンを頭に叩き込んで、要領よく問題を解くという形でしょう。
それに対して、Aさんは、「なぜそうなるのかをきちんと理解しないうちは、問題を解いても頭に入らない」と言います。
一つ一つの公式や解法が導き出されてきた、過程こそが大事だという考えです。「他では素通りしてしまうところを知りたい」、「問題集や教科書で省略されているところをはっきりさせたい」からです。
「なぜ」「どうして」を繰り返す学習法は、時間がかかります。効率が悪いようにも思えます。しかし、時間をかければかけたほど、納得できた後の満足感は高まります。
その時の笑顔を見るたびに、「ここだけだよなぁ、こんな学習ができるのは」の一言を聞くたびに、「急かして教え込む指導」にならないようにと自戒させられるのでした。
開花を迫るように見つめるのは我慢することにしてから数日たった10月2日の夜、ふと視線が合ったつぼみは開き出していました。次第に芳香も漂い始め、9時には見事な大輪が開きました。定規で測れば直径25センチ。今まで見た中で最大です。強くなった芳香は、10メートルも離れた教室の隅の方まで充満しています。
ところで、月下美人はどうして夜遅くに開花するのでしょう。
月下美人は、クジャクサボテンの仲間とはいっても、砂漠など乾燥した大地に育つサボテンとは別種で、もともと中央アメリカのジャングルに生息していました。昼なお暗いジャングルの中で、花粉の運び役に選んだのはコウモリでした。そのコウモリが止まりやすいように葉から垂れ、コウモリの活動時間にあわせて夜に開花するのだそうです。
コウモリは、空を飛んではいても、鳥類ではなく哺乳類です。その哺乳類が2億年前頃に誕生したころは、すべてが夜行性でした。長い年月を経て、人類は昼行性の活動に変わりましたが、一部に夜行性も残しています。
深まりゆく夜長を利用して、塾生達はこれからどのような花を咲かせるのでしょうか。夢を開くのでしょうか。