小四国語の下記の問題から、いろいろ考えさせられました。
次の1年間のできごとやこよみの上での日を、早いものから順番にならべかえなさい。
大寒 雛祭り 冬至 ……… 七夕 盆踊り 節分 書き初め |
一つは、季節感の風化です。
「大寒」という漢字を見て、冬のころだろうと想像はつきます。ただし寒いとはいえ、昔と違ってあまり雪は積もらず氷も張りませんから、冬の中でとりたてて寒さを強調される期間は感じられなくなりました。暖房が行き届いた生活の中では、「寒」が過ぎれば春が来るという期待はわいてこないでしょう。
「書き初め」も、正月二日の行事であることは知られなくなりました。トラックがまだ珍しかったころ、荷台を紅白の布でおおったり、旗をひるがえして通る姿は、おまつりの山車のようでした。正月二日は「初荷」、商店の仕事始めです。年中無休で元旦も営業、さらに24時間営業というあわただしい経済活動になってからは、いつが「初荷」かわかりません。商店も、農家も、一般家庭でも、元旦は休んで二日から仕事を始める生活スタイルに戻らない以上、「書き初め」だけを正月二日の行事に残すのは無理かもしれません。
二つには、同じ行事が異なる時期に行われていることです。
冬至は、太陽が南緯23度27分の真上を通る日ですから、12月22日ごろと特定されます。
一方、雛祭りや盆踊りなどはどうでしょう。雛祭りは多くは新暦の3月3日に行われますが、一部地域では旧暦でも行われています。盆踊りはと言えば、新暦の7月15日ごろよりも、月遅れの8月15日ごろの方が盛んです。正月の行事も、新正月と旧正月の2回祝う時期もありました。
このように大半は一本化しているものの、依然として異なる時期にまたがって行われている行事もあります。その典型が七夕です。
新暦の7月7日は、梅雨の最中です。天の川も地平線よりにあります。それでも新暦の7月7日に七夕を祝うのは、幼稚園や学校が夏休みに入らないうちに行えるからでしょう。
8月に入り、梅雨も明け、天の川が天上に見えるようになって、茂原や仙台など各地で七夕祭りが行われます。短冊の代わりに、数十個もの提灯を取り付けた長い竿を巧みに操る秋田の竿灯も、七夕祭りの一種です。(七夕飾りの静的な美しさも素敵ですが、竿灯の動的な迫力には圧倒されます。)
三つには、実生活での用例と、暦の本来の意味とのずれです。
「節分」と言えば豆まきが頭に浮かびます。立春前日の「節分」以外に目だった行事はありませんし、大半のカレンダーには立春の前日のみ「節分」と書き込まれてありますから、2月の行事だと即断されるでしょう。
でも、字を見て下さい。節を分けると書いてあります。季節を分ける日、すなわち四季の最後にあたる日が「節分」です。
今年の「立春」は2月4日でした。3日までは冬で4日からは春ですから、2月3日は「節分」です。同様にして、「立夏」前日の5月4日も「節分」ですし、「立秋」前日の8月6日も「節分」、「立冬」前日の11月6日も「節分」にあたります。
四季に関連して四つあるにもかかわらず、一つだけと勘違いしている例は「土用」も同じです。
「土用波」や「土用干し」の用語があるように、「土用」は夏を連想させます。ただし、「土用」は、春にも、秋にも、冬にもあります。
「木・火・土・金・水」の五つの要素によって世の中のでき事を分析しようとする「五行説」によれば、「春は木、夏は火、秋は金、冬は水」と当てはめられるものの、「土」があまってしまいます。そこで、1年360日を5で割った72日をそれぞれ春、夏、秋、冬にあて、残る72日をさらに4で割った各18日(19日の年もあり)を「土用」として、立春、立夏、立秋、立冬の前に割り込ませたのです。
「五行説」によってつくり出された「土用」が脚光を浴びたのは、江戸時代のとある鰻屋さんの宣伝によります。天然物の鰻は夏に弱いそうです。当然売れ行きも悪くなります。その夏場の閑散期対策として「土用丑の日」のキャッチコピーを用いて以降、夏の「土用」だけが定着したようです。
今年の「立秋」は8月7日ですから、夏の「土用」は8月6日までで、8月6日は夏と秋を区切る「節分」です。
この「節分」のことば通りに、今年の猛暑は6日で終わるでしょうか。7日からは、暦の上だけでなく秋になってくれるでしょうか。
夏期講習終れり街に夜涼満つ 大塚茂敏 (『俳句歳時記』角川書店)