本人に行ったことがなくても、名前を聞いただけでその人のイメージが浮かんできたりします。現地に行かなくても、地名を聞いただけでその土地のイメージが浮かぶこともあります。私達はどうしても名前にとらわれてしまうところがあるようです。
数学でも似たようなできごとがありました。複素数を学習している時です。
「虚数なんて、現実にない数をどうして学習するんだろう」
直接質問するかどうかは別にして、かなりの人が胸にいだく疑問でしょう。
「マイナスの数×マイナスの数は、プラスの数になる」と再々学習してきて、それを否定する事態に直面しているのですから。その上、名前が虚数となっています。「実際にある数=実数」に対し、「実際にない数=虚の数=虚数」、と思い込むのも無理ありません。
「
i 2=−1」の i は、 imaginary number の頭文字です。この imaginary number
を、どうして虚数などと日本語に訳してしまったのでしょう。
虚数はけっして「実際にない数」ではありませんし、「虚の数」でもありません。実数と虚数を区別するなら、「大小関係がある数」と、「大小関係がない数」とすべきでしょう。
実数は、整数にしろ、小数や分数にしろ、√がついた数やπのような無理数にしても、数直線上に表せます。
したがって、実数のたし算やひき算は数直線で示すことができます。(+1)+(−3)は下図の通りです。
一方、かけ算やわり算はどうでしょう。(+2)×(−1)が(−2)になる関係を、数直線上ではうまく示すことができません。
そこで数直線を実軸とし、虚軸を原点0で直交させます。
この複素平面を用いれば、虚数のかけ算やわり算を図で示すことができます。
(+2)× i =+2 i …@
(+2 i )× i =−2…A
(−2)× i =−2 i …B
(−2 i )× i =+2…C
@とAより
(+2)× i × i =(+2)× i
2
=(+2)×(−1)
=−2
BとCより
(−2)× i × i =(−2)× i
2
=(−2)×(−1)
=+2
つまりマイナスの数のかけ算やわり算は、虚数を用いなかったために図示できなかっただけなのです。虚数は、「実際にない数」でも「虚の数」でもなく、「実際にある数」であり、「真の数」なのです。
現に電気の交流回路の計算には、複素数(a+bi)が不可欠です。というより、19世紀の後半から交流による送電が始まって以降、虚数を含む複素数を用いた計算式が使用できたからこそ、エレクトロニクスが著しく発展し続けたといって過言ではないでしょう。
実際にあるにもかかわらず、実際にないのではないかと感じてしまう背景には、虚数という名前がもたらすイメージとともに、現実に「ない」と教えられている過程が深く関係しています。
中学3年で平方根を学習する際、「マイナスの数の平方根はない」と教科書に明記されています。それに対して、「マイナスの数の平方根はないのではなくて、中学3年の段階では扱わないようにしているだけだよ」と何度も念を押して説明しているのですが、「マイナスの数の平方根はない」という表現はあまりにも強烈すぎるようです。厳格にこの表現に従おうとすればするほど、マイナスの数の平方根すなわち虚数に出会った時に狼狽してしまいます。
虚数に出会った時ほどのショックではないにしても、例えば「3−5」の計算に取り組む時も少なからぬショックがあるのではないでしょうか。なにしろ算数の範囲では「小さな数から大きな数は引けない」はずだったのに、中学1年になると正負の数の単元で「小さな数から大きな数を引く」計算がなんの断りもなく入ってくるからです。
また、中学3年では「マイナスの数の平方根はない」としておきながら、高校2年では複素数の単元で「マイナスの数の平方根はある」と180°変換します。
これでは、数学に対する興味を失わせてしまうばかりか、学問全体に不信感さえ生じかねません。
「この単元では扱わないことにするが、別の単元では……のようになる」と触れておくのと、「存在しない」「計算できない」の一言で打ち切ってしまうのとでは、次の単元の学習に入った時の印象はまったく違ってきます。
「○○才では『存在しない』『計算できない』で済ませてしまおう。○○才になったら『存在する』『計算できる』ことにしよう」というような、虚虚実実とした「学年毎に切断された学習指導」は変更すべきではないでしょうか。
虚数の考え方を用いれば「プラスの数×マイナスの数は、マイナスの数になる」や「マイナスの数×マイナスの数は、プラスの数になる」が図を使っても説明できるように、次の単元で学習する予定の範囲を前もって一部取り入れた方がわかりやすくなる場合もあります。数学の体系は、単元ごとに切断されているのではなく、連続しているのですから。