暮れなずむ

 しばらく前までは、四時五十分から学習する塾生が入室してから、塾舎の西側に広がる畑のかなたに沈む太陽に別れを告げることができていました。その太陽は、日ごとに南よりの地点で沈むようになり、畑地に至る手前の住宅地に身を潜めるようになりました。しかも、日が沈む時間は日一日と早まり、四時半すぎにはすっかり暗くなってしまいます。

 そこで、四時五十分から学習する塾生にも、夜からの塾生に対するのと同じように「こんばんは」と挨拶するようになりました。こちらとしては日の暮れ方にあわせて「こんばんは」と口に出るのですが、塾生は今まで通り「こんにちは」と言いながら入ってきます。その元気さに合わせて「こんにちは」と挨拶を返す時もあれば、こちらの「こんばんは」に合わせなくてはいけないと思ったのか「こんに…ばんは」と音量を大から小へしぼってしまう塾生もいます。

 この時期この時間帯の挨拶としては、「こんにちは」がいいものか、「こんばんは」がいいものか、どちらでもいいものか、塾生ともども悩んでしまいます。芸能界のように午後でも夜でも一日中「おはようございます」と挨拶することになっていれば、このような悩みは解消するかもしれませんが。

 さて、日の入りが一番早いのはいつかといえば、十二月六日ごろです。九月や十月のころは一日ごとに二分間ずつ日の入りの時刻が早くなってきたのに対して、十二月上旬は一日で数秒しか変化しません。秋の日の入りを「釣瓶落とし」と形容していますが、これは日が早く暮れやすいという意味につけ加えて、一日ごとの日の入りの時間がどんどん早くなることも表しているような気がします。           『理科年表』から算出

 日の出の時間はどうでしょう。十二月上旬は、一日に一分ほどずつ日の出が遅くなっていきます。一月に入ると一日ごとの変化は数秒ほどになり、一月六日ごろが一番遅くなります。

 つまり一番早い日の入りと、一番遅い日の出とは一ヶ月もずれます。その理由は、一日が正確に二十四時間ずつ時を刻んでいるわけではないからです。

 地球が一回自転する時間を一日としています。では、毎日毎日同じ時間をかけて自転しているかといえば、日々違っているのです。九月十七日ごろに「二三時間五九分三九秒」と最も短く、十二月二十二日ごろに「二四時間三〇秒」と最も長くなります。その差は五一秒、つまり約一分違っています。

 この違いは、第一に、地球の赤道と黄道(地球から見て太陽が通るように考えられる道)が二三.四度傾いているためです。黄道上の太陽が赤道に近い春分や秋分のころは、一回の時点の時間が短くなります。黄道上の太陽が赤道から遠い夏至や冬至のころは、一回の自転の時間が長くなります。

 第二に、地球は太陽の回りを円ではなく、楕円軌道を公転しているからです。このため、地球の公転速度は、地球が太陽に近づくと速くなり、太陽から遠くなると遅くなります。

 このように日々異なる一回ごとの自転の時間に合わせて、一日の時間を毎日変えたら大変です。そのため、年間三五六日の各自転時間の平均をとって、「一日=二十四時間」として日常生活に用いています。

 本来の自転ごとの時間にあてはめれば、冬至に日の出が一番遅くて、日の入りが一番早くなるはずです。しかし、「一日=二十四時間」制の暦を採用しているので、一番遅い日の出は一月六日ごろ、一番早い日の入りは十二月六日ごろと、一ヶ月ずれてしまうわけです。

                                      『年中行事を科学する』日本経済新聞社

 十二月八日は事始め、新年を迎える準備が始まります。昼間の時間はまだまだ短くなりますが、日の入りはほんの少しずつ遅くなっていきます。

 二十二日には冬至を迎えます。日影が一番長くなるこの日を境に、太陽が戻ってきます。光の復活とも言える冬至は、古代から特別の日とされてきたようです。北極圏内にある地域では、一日中暗闇に包まれた生活に日が射し込むのですから、どんなに心震わせたことでしょう。

 日光の復活にあわせて、炉の火を替える風習が世界各地に残っています。火起こしが大変だった昔、囲炉裏などの火はいつも絶やさないようにしていました。その一年間大事にしてきた火を、冬至に一旦消して、新しい火を起こしたのです。

 サンタクロースが煙突を通ってやってくるのは、炉の火を落として煙突を掃除したあとに、新しい火がともされることを表しているようです。また、サンタクロースが着ているまっ赤な服は、新しい火そのものを象徴しているそうです。
                                           『歳時記の系譜』毎日新聞社

 

 日本では、冬至に柚子湯に入る習慣があります。それまで一年間守り続けてきた火に替えて、改められた新しい火で沸かした湯に入れば、身も清められます。その湯の中にたちこめる黄色の柚子の香りは、よみがえる太陽の光と同じように身体を包み込んでくれます。「桃栗三年、柿八年、柚子は九年でなりさがる」と、長い風雪を耐えた後に実がなりだす柚子にあやかり、衰えた日射しの中での生活に続いて、これからますます厳しくなる寒さにも耐える力を吸収しようとしたのでしょう。

 また、冬至にカボチャを食べる習慣もあります。真夏の陽光を浴びて育ったカボチャを食べれば、体内に陽光を採り入れることができると考えたのかもしれません。保存がきくとは言っても、寒さには弱いカボチャ(南瓜)を、本格的な冬が始まる前に食べ切った方がよいという知恵も関係しているでしょう。天文学での冬は、冬至から春分までを指しますから。

 アマテラスオオミカミが天の岩戸を開けて、日の光が再び大地を照らすようになったという神話は、冬至の現象を基にしているのではないかとも考えられます。

 十二月六日からは日の入りが遅くなり、十二月二十二日からは昼間の時間が長くなります。天の岩戸は今年も開かれようとしています。「こんにちは」か「こんばんは」かと迷わずに、暮れなずむころに「こんにちは」と挨拶を交わせられるのはもうすぐです。