習い初めのうちは簡単そうに思えた英語にもかかわらず、早々にして苦手意識を持ってしまう場合があります。かく言う私もその一人でした。
今から数十年前、最初のテストで悲惨な点数を取ってしまいました。これでは大変と、梅雨を前にしてとある英語塾の門を叩きました。入塾してから知ったのですが、そこは中学一年から大学受験に向けて学ぶ方針で、細かな説明は抜きにしてどんどん先へ進めるスタイルでした。
ちんぷんかんぷんの抗議が続く中で、「三単現」「三単現」と何度も板書されたことが今でも鮮明に蘇ってきます。「三単現」は「さんたんげん」と読むらしいことは分かったものの、「三単現」とはいったい何者なのか謎は深まるばかり、英語に対する劣等感は強まるばかりでした。
そのような状態から、どのような経過をたどって遅れをとりもどせるまでに至ったのか、思い出そうとしてもなかなか思い出せません。それを思い出せれば英語に悩んでいる塾生の手助けになれるのに…と考えていた折でした。
「へー、三人称って三人のことじゃなかったんだ」
英語の一人称、二人称、三人称の区別を説明している中で、ある塾生が初めて分かったと喜んで語ってくれました。
どうやら三人称を「三人の称」ととらえていたようです。これでは「三人・称」と「単数」がつながるはずはありません。「一人・称」が単数なのは当然として、「二人・称」も「三人・称」も複数でないとつじつまが合いませんから。
三人称とは「三人の称」ではなく「三・人称」と分かれば、三人称と単数は両立します。「・」をどこに入れてみるかが分かれば、暗雲たれこめていた空は、雲一つない晴天へと急変します。
それにしても、三人称とはなんと誤解を招く表現でしょう。分かってしまえば気にならないかもしれませんが、少なくとも「三・人称」と「三人・称」の区別ぐらいはしてもいいのではないでしょうか。「・」が入っただけで、毎年多くの中学生が救われることでしょう。
「・」を入れても「一・人称」「二・人称」「三・人称」では、まだ一人、二人、三人と誤解される可能性も残されています。いっそ「第一人称」「第二人称」「第三人称」とすれば、第一番目、第二番目、第三番目とはっきりします。もともと英語では
first person, second person, third person と表しています。
あるいは国文法のように、一人称の代わりに「自称」を、二人称の代わりに「対称」を、三人称の代わりに「他称」を用いたほうが、内容がつかみやすいかもしれません。
夏目漱石の「我輩は猫である」を英語に訳すと I am a cat. なるのでしょうか。話し手自身を表す単語は、英語は
I と we だけなのに対して、日本語では「私、わたくし、ぼく、おれ、拙者、それがし…」と何通りもあります。
話し相手を表す単語は英語では you だけですが、日本語では「あなた、おまえ、きさま、きこう、おぬし…」とこれまたたくさんあります。もう一例の「きみ」は古代では「き」は男性を、「み」は女性を表していました。
一人称と二人称は、日本語に比べて、英語は実に単純です。この I, we, you
以外はすべて三人称になります。
話し手と話し相手や書き手と読み手の関係になっていなければ、自分の家族であろうと隣にすわっている人であろうとすべて第三者ですから、世の中のほとんどが三人称扱いです。
では、なぜそれほど多い三人称の場合だけ、動詞に s をつけたりするのでしょうか。
アメリカで会話の中に用いる単語を調べたところ、「第一位は I、第二位は
you 」だったそうです。しかも「I と you の二語だけで全体の10%」にも達しています。『英語のとびら』 日本書籍
つまり、主語になるのは、一人称の I と二人称の you が多いのです。三人称に含まれる単語の種類は無限と言ってよいほどですが、現在形の分で主語が三人称で単数の場合というのは意外と少ないものです。高校の入試問題に出てくる長文を調べてみても、動詞に
s や es がつく文はごくわずかです。
ということは、現在形の文で主語が三人称で単数になっている希少な例であることを際だたせるために、動詞に
s や es をつけているのかもしれません。
ちなみにこの三人称単数現在の動詞に s がつくのは、十世紀に「突然北部方言に現れた」そうです。その後数百年かけて、徐々にイギリスの中部から南部へと広まり、一般的に用いられるのは十六世紀も後半に入ってのようです。 『英語の歴史』 講談社
「三単現」に苦しんでいる間に、中学一年の英文法は、現在進行形や助動詞
can へ移り、動詞の過去形も入ってきます。そのころになると主語の人称をそれほど気にしなくても英文を作れるようになります。「三単現」の学習の最中ははっきりしなかったのに、「三単現」の学習とは別の単元を学習していて、ふと「三単現」が分かりかけたりします。
これは英語に限りません。数学でも他の科目でも、しばらく時間をおくと、「なんだ簡単に解けるじゃないか。どうしてあのころにできなかったのだろう」と思うことがあります。
鉄は熱いうちに打った方がよいのでしょうが、冷めてから打った方がよい物もあるはずです。一つの単元が分からないからといってどうしようどうしようと頭を熱くするよりも、そのうちなんとかなるだろうと頭を冷す方がよさそうです。