めだかの新居

 この夏、学園にかわいい仲間が加わりました。めだかさんです。

 八月の上旬、知り合いの方から田んぼの水抜きをする前に、めだかを取りに来ないかと誘われました。出かけて行きますと、一枚の田んぼだけ、たわわに実った稲の間に水草が繁っています。ただ稲だけがスーと伸びている周りの水田とは、とても際立っています。

 田んぼに下りて、水草をかきわけますと、います、います。めだかがいっぱい泳いでいます。

 いざ網ですくおうとすると、なかなか掛かりません。めだかは必死で逃げまわっているのでしょう。

 「殺したりしないよ、助けにきたんだよ。稲刈り前に田んぼを乾すんだって。そうしたらこの田んぼに水はすっかり無くなっちゃうよ。水路から出て行っても、洗剤や農薬やいろいろなものがまざった水の中は住みにくいよ」

と伝えたくても、伝えようがありません。それでも十数匹のめだかといっしょに帰宅できました。

 そうなると、めだかの新居を準備しなければなりません。ホームセンターのペットコーナーに初めて行ってみました。

 そこにはきれいな水槽が並んでいます。透き通った水の中を泳ぐ魚達は、きれい過ぎます。ついさっきまで見てきた田んぼの中とは、ずいぶん違います。ブクブクと酸素のポンプが動いているのにも違和感を覚えました。その日は水槽だけを買って帰り、めだかを放してやりました。

 翌日、様子を見ますと大変です。めだかが数匹水面に浮いています。残っためだかも元気がありません。

 水道水でなく雨水貯水槽の水を使ったとはいえ、環境が悪かったのかと反省しました。田んぼの土に根ざした水草を必要としているのだろうと、また田んぼに出かけました。

 ギラギラと輝く太陽が沈んだ後の田んぼには、めだかが見当たりません。田んぼの水や土、水草だけでなく、元気なめだかもいっしょに連れて帰りたいと探しまわっても、見つかりません。すでに寝室に隠れてしまったのでしょうか。田んぼの水を流し出している水路までかなりの時間網を回し続けました。腰を伸ばして見上げると、空には星さんが優しく微笑んでいました。

 水よし、土よし、水草よし。これでバッチリ条件が整ったはずですが、水がにごりっぱなしで、めだかがいるのかどうかさえわかりません。うーん、やっぱり酸素ポンプもいるのでしょう。

 ポンプを買ったついでに、水瓶も買いました。室内に置くだけでなく、玄関の外でもめだかを飼うためです。

 数日して水槽と瓶を比べてみました。

 瓶の中はなんともにぎやかです。めだかはもちろん、水草の元気なこと。浮き草もびっしりと水面をおおっています。

 一方、雨戸を閉めきりにしておいた室内の水槽は、ブクブクという音と泡が動くだけで、不気味な感じさえします。水草も枯れてしまいました。水もにごっています。

 夏期講習が再会されて、二つの水槽にも日射しが差し込むようになりました。するとどうでしょう。水が澄んできました。茶色がかっていた水草が、緑色に変わってきました。めだかの泳ぎも軽やかです。

 その日射しが長時間差し込む玄関前の瓶の水温が、上がってしまわないだろうかと心配しましたが、どうやら杞憂のようでした。陶器だからでしょうか。中に土をたくさん入れたからでしょうか。

 土と言えば、この夏世界遺産に認定されている白神山地を歩いてきました。うっそうと繁るぶなの森を抜けると、草原が広がり高山植物が花咲いていました。その足下の土はサラサラしています。ぶなの森の中の土のようにふっくらとはしていません。何千年、何万年に渡って、ぶなは葉を落とし、葉は朽ちて土となってきました。その豊かな土は、ぶなの新芽を育み、巨大な樹木を支えてきました。植物は土となり、土は植物となります。

 白神のぶなの森は、化学肥料やブルドーザーなどいくら投入しても、再現は不可能でしょう。

 今回、めだかをいただいた田んぼでは、田起しをしていません。昨年の稲株がそのまま残っています。田んぼに水を張った後、稲株と稲株の間に田植えをしています。この田んぼ一枚だけにめだかがいるのは、農薬を使わないばかりではありません。人間の手で掘り返さないそのままの土壌が、めだかやどじょうや様々な動植物に住みやすい環境となっています。

 田起しをして、代かきをして、肥料をまいてと、人の手を加えれば加えるほど、米の収穫が増えると考えられてきました。一年のごくわずかの期間の作業のために、各種の機械が必要とされてきました。化学肥料も農薬も欠かせないと考えられてきました。そのような苦労は「水の泡」となるかもしれません。

 このめだかの田んぼは、田起しの重労働をしなくても、水草が生えたまま農薬をまかなくても、周りの水田の稲と見劣りしないばかりか、株が太く、倒れもせず、実りも豊かなのですから。

 日の光や、水や、土や、空気や、自然のあらゆる恵みがあればこそ、植物も動物も生き続けることができます。植物や動物が生きてこそ、自然も豊かになってきます。何か一つ欠けてしまえば、直接的な影響は見えにくいにしても、人間にとって住みにくくなるのはまちがいありません。

 めだかが絶滅を危惧されると発表されて数年たちます。でも、今ならまだ、めだかとともに生き続けることは可能です。

 数百万年前、日本列島がユーラシア大陸と地続きで、中国の黄河が現在の東シナ海までずっと流路を伸ばし、日本列島の河川が「古黄河」の支流だった時代から、少しずつ少しずつ生活の場を広げてきためだかとともに。