21世紀が明けて早々、塾舎の建設を始める挨拶に回りました。その日は吹雪が舞い、手は凍えるようでした。
 地盤調査も済み、地鎮祭を翌日に控えて今度は数年ぶりの大雪です。20センチを超える雪に、地鎮祭はやむなく延期。1月31日にまだ5センチほど雪が残る中での地鎮祭(ところしずめのまつり)となりました。
 思い返せば、建設に動き出したのは昨年の8月です。冷房をかけても暑いくらいの日に、棟梁や設計士さんと第一回の打ち合わせを始めてから半年が過ぎています。
 夏から秋へ、そして冬へ、設計が煮つまれば煮つまるほど、調整すべきことが増えていきます。一番問題になったのは壁面の強度です。設計原案は平面図ですから気がつきませんでしたが、2階と3階の重量を支え、どのような揺れにも耐えるだけの耐久壁を設けなければなりません。広い空間をとるためには、それだけ耐力壁をよけいに必要とします。できるだけ窓も多くとりたいしと、悩みが増します。「ここはこうしたら」「それだったらこうすれば……」と、一つのアイデアは新たなアイデアを生み、話し合いは延々と続いていきます。深夜2時近くまでになった時もあります。


 設計にこれほど時間がかかったのは、本格的な木造建設にこだわったためです。「木」は「き」→「氣」につながります。単なる建物にとどまらず、そこに入っただけで、「やる気がでる、元気がでる、気合が入る」空間にするために、木に優る素材はありません。
 これまでに様々な建築を見てきました。住宅展示場も回りましたし、県内外の様々な塾舎も見学させてもらいました。それらの中で一番印象に残ったのは、埼玉県のある塾舎です。木造3階建で、内部に木をふんだんに用いています。外見からでは他の建物とさほど違いはわかりませんが、中に入ると心が解放されていきます。教室で椅子に座っていますと、今度は心が落ち着いてきます。これはやはり木の力です。
 数百万年前に、人類の祖先は樹上から草原へ生活の場を移しました。直立して歩いたり、手を使ったりするに伴い、脳の働きを増し、すさまじいばかりの科学技術を生み出してきました。そのような現代に至っても、木にふれたり林や森を歩く時に心がほっとするのは、遠い祖先から連綿と続く遺伝子のなせる業なのでしょうか。


 ところで阪神大震災では数多くの木造家屋が倒れました。ただし、木造だったから倒れたのではなく、強度計算や建て方に問題があったからのようです。ビルや高速道路など鉄筋コンクリート造りでも、問題があった構造物は数多く倒れています。
 そのような中で一軒も倒れなかった工法があります。地震に備えるために、そのコンクリート工法を採用しようかと心が動いた時期もありました。試みに設計してもらったのですが、どうもしっくりいきません。強度計算にしばられて、思うような間取りがとれないのです。要塞のようにがっしりした建物ならば、地震には強いでしょうが、それでは息がつまってしまいます。


 空間を柔軟に設計できるのは、やはり木造でした。柔軟性に強度が加われば、木造に問題はありません。東大寺や法隆寺をはじめとして、何百年も風雪に耐えてきたのは、日本では木造建築です。木の特質を生かす匠の技があれば、堅固な構造物ができます。
 幸い信頼できる匠がいました。2年前に自宅を増改築した際、半年にわたってていねいに仕事をして下さった棟梁と大工さん達です。
 また、様々な希望を辛抱強く具体化して下さる設計士さんもいました。
 これらの方々に願いを託すことにしました。
 第一の願いは、氣がみなぎる空間です。20畳大の学習室や17.5畳の広間などが実現します。広々とした空間で、氣は晴れ晴れすることでしょう。
 第二の願いは、健康に過ごせる空間です。新建材や塗料などによって、体がむしばまれては大変です。そこで壁紙を使わずに、板壁やしっくいパネルを用いることにしました。
 第三の願いは、百年以上使える建築です。地震や風水害に耐える建築でなければ、安心して学習ができません。深さ1メートルを超すコンクリートの基礎と、15センチ角の柱や45センチの梁など普通家屋の2倍近い構造材により、安全は確保できます。
 第四の願いは、自然の利用です。屋根に降った雨水をすべて地下のタンクにためて、水洗便所に使えるようにします。二期工事では太陽光発電も取り入れる予定です。


 工事が始まってから一ヶ月。頑丈な基礎はできあがり、太い柱も搬入されました。3月9日、心躍るような青空に向かって、クレーン車が次々と柱を持ち上げていきます。朝早くから夕方まで仕事は続き、今まで頭と図面の中にあった想像物が、徐々に輪郭をうかびあげていきます。翌10日の夕刻が迫るころ、棟上げは成りました。
 長野県の諏訪では、多くの犠牲者を出しながらも御柱の祭りが数百年にわたって続いています。柱を立てる場面は、昔も今も人々に感動を与えずにはおきません。
 柱は柱であっても、単なる家の柱にとどまりません。大地と天空を結ぶ芯にあたるのが、野山にあっては樹木であり、家にあっては柱です。柱は家屋を支えながら、大地に根ざし、天空を仰ぎ続けることでしょう。
 不動の柱は立ちました。棟上げ式(建前)も済みました。22世紀まで立ち続ける塾舎は、7月完成を目指して順調に工事が進んでいます。
                      青空に 木魂が響き 柱立つ



                            

柱立つ