12月に入って、黒板の上にかけてある鉢植えのデンマークカクタスが咲き出しました。右上からは赤い花が、左上からは白い花が、日々の学習を優しく見守っています。
 年が明けて冬期講習を再開した日、塾生が水仙を腕いっぱいにかかえて持ってきてくれました。おばあさんの家で栽培しているそうで、その日の朝に切った中から届けてくれたのです。水仙は一本だけでも甘い香りが漂います。それが十数本にもなるのですから、学園がすっかり水仙の温室になってしまったかのようです。
 6日には、生け花の梅のつぼみが一つ開きました。梅は毎年の正月を飾る生け花の主役です。その梅の今年の枝は、今までになく風格があります。枝ぶりがすばらしければ、つぼみの付きや開きも良くなるのでしょうか。一輪、また一輪と開いていきます。今日はどの枝のつぼみが開いたかなと、毎日が楽しくなります。
 10日になって、さらに梅も加わりました。近くの方が一月の中旬になると届けてくれます。昨年も十数本の枝を持ってきてくれました。今年もこんなに切ってしまってと、少し心配になりました。そのことを尋ねましたら、翌年の花のためにも実がなる前に剪定した方がいいのだそうです。
  水仙や梅、梅にまつわる話から、人々が昔から花の香りにいやされ、生命力に元気づけられてきたことがわかります。

      水仙の香りせつなくいとおしく
 水仙の自生地として有名な越前岬に、次のような話が伝えられています。
 兄と弟の両方から恋をうちあけられた娘がいました。その娘は兄弟の中を割いてしまったことを悔やみ、真冬の海へ身を投げてしまいます。冬が過ぎて春がめぐってくると、それまで見たこともない花が浜辺に打ち寄せていました。それは水仙でした。その花を拾った村人達は大事に育て続けました。平安時代の終わりごろのことです。
 樋口一葉の『たけくらべ』の終末を飾るのも水仙です。
「何ゆえなく懐かしき思いにて遠い棚の一輪ざしに入れて寂しく清き姿をめでける」
 信如は美登利に別れを告げるかわりに、一本の水仙を門のそばに置いて、仏の道へ入っていきます。
 水仙からは甘い香りとともに、淡くせつない香りも漂ってくるようです。

      風に耐え雪にも耐えて梅一輪
 『源氏物語』の中に正月の風情が描かれています。
 「春の大殿の御前、とりわきて、梅の香も御簾の内の匂ひに吹き紛ひて、生ける仏の御国とおぼゆ。さすがにうちとけて、安らかに住みなしたまへり。」
 梅の香りが風に乗ってくるありさまは、さぞかし極楽浄土のように感じられたのでしょう。当時、花と言えば梅を指していました。その後、梅にかわって桜が花を代表するようになっていきます。
 鎌倉時代の中期に書かれた『十訓抄』には、梅の花に見とれていてからかわれる人の話が出てきます。中国との交流を背景とする文化よりも、
日本独自の文化が勢いを増すにつれて、梅の地位も低下していきます。
 梅が再び評価されるのは江戸時代です。しその葉を用いて赤い梅干しを作る製法が広まり、日本各地に梅園がさかんにつくられるようになりました。
 梅の花ことばが忍耐となっているのは、寒中に咲く姿からだけでなく、このような歴史を経てきたからかもしれません。



 あすは春